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同意する台湾にも知られている飛騨古川、古川祭
約6万人が訪れた台湾での古川祭展覧会
2015年2月7日から3月8日までの1ヶ月間、台湾の台中市にある文化創意産業園区にて古川祭の展示会が開催されました。会場の入口には、「青龍台」の屋台が原寸大パネルで展示。会場の中に入ると神輿行列を再現した人形、映像を利用し瀬戸川を再現。会場のメインはなんといっても起し太鼓。普段、飛騨市古川町のまつり広場にある「起し太鼓」のレプリカを台湾で展示し、現地で太鼓を実際に叩く方もたくさんいました。この1ヶ月の期間に宮本組、神楽台による獅子舞や白虎台の子ども歌舞伎、台湾の学生を交えた付け太鼓、そして、起し太鼓のパフォーマンスが行われました。
古川祭についての特集記事はこちら
【飛騨古川祭は毎年4月19日、20日に開催。19日夜:起し太鼓。20日夜:屋台夜祭】
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台湾と飛騨市古川町とのつながりのきっかけ
台湾台中市で「古川祭台中交流展覧会」が開催されるまでには20年以上続く交流がありました。きっかけは、思いもしないめぐり合わせでした。1994年に台湾政府の行政院文化建設委員会(日本でいう文化庁)が台湾大学・淡水大学の教授らと全国の有識者を募り日本へ視察団を派遣しました。日本全国を見て廻ったようですが飛騨地区は視察対象には入っていませんでした。ところがその視察団の中に、日本に留学しているときの友人が飛騨古川在住という人がおり、名古屋に滞在していた視察団は急遽視察先に飛騨古川をいれました。当時の古川町役場と古川町観光協会は大慌てで対応をしたようです。
飛騨市古川町のまちづくり
ちょっとしたきっかけで飛騨古川を視察した後、台湾政府から全国町づくり大会で飛騨古川の町づくりの事例発表をお願いする正式依頼が届きました。そして、当時古川町観光協会の2名が台湾の淡水大学で事例発表、嘉義縣新港郷で全国町づくり大会の事例発表を行いました。現地では「どうしてそんな町づくりができるのか?」の質問攻めに。飛騨古川の町づくりがハード面より人づくりという台湾の人から見ると不可解なことであったようです。そこで2人は「そんなに疑うなら飛騨古川に来てみな」と伝えたのでした。
飛騨古川への視察
その翌年、台湾から視察団が飛騨古川へ。新港郷の郷長(市長に相当)、町づくり団体「新港文教基金会会長」陳錦煌氏(後の行政委員、台湾省副主席、台湾中部地震復興担当)をはじめ30名が飛騨古川を訪れました。視察団が一様に驚かれるのは町が清潔なこと、隣の家の分まで掃除をする、汚れていた瀬戸川をきれいにした町民の力です。飛騨古川の町づくりが人づくりであるという事実を目のあたりにして活発な論議が交わされ、これを契機に新港文教基金会との本格的な交流が続きます。
台湾での飛騨古川
新港は、台北から新幹線で1時間30分、北回帰線の走る嘉義市から車で20分のところにあり、有数の観光地になっています。古川の町づくりに大いに触発された視察団は、町をきれいにする運動を起こし、隣の家の分まで掃除をしようと「FURUKAWA STREET」まで出現しました。その後も台湾から様々な団体が訪れ、テレビ番組に取り上げられたり、台湾の小学校4年生の国語教科書には飛騨古川の事が4ページも載っています。飛騨古川では当たり前のようにしてきた生活のひとつが町づくりとして注目され、現在にいたるのです。