国史跡「古川城」へ!山城ガイドの解説で飛騨の戦国史に触れる
自然の中をのんびり歩きながら、気づけば戦国のロマンに引き込まれていく——。そんな不思議な感覚を味わえる場所が、岐阜県飛騨市の「山城(やまじろ)」です。足元や周囲の景色の中に、戦国武将たちが繰り広げた激動のドラマが隠されています。
もちろん専門知識がなくても大丈夫。地元の山城ガイドさんの解説を聞きながら、知的好奇心がくすぐられるハイキングを楽しみましょう!
「道の駅アルプ飛騨古川」に集合!山城パネル展示も開催中
旅の始まりは「道の駅 アルプ飛騨古川」。敷地内には山城の情報コーナーやパネル展示があり、登城前に目を通しておくと、これからの道のりがぐっと楽しくなります。
「山城」とは、中世を中心に、敵の攻撃を防ぐため山や丘陵などの自然の地形を活かして築かれた城のこと。土を削ったり盛ったりした地形の中に、当時の工夫が残されています。
令和6年には、飛騨古川の周辺に残る「姉小路氏城跡(あねがこうじししろあと)」が国史跡に指定されました。これは、古川城・小島城・野口城・小鷹利城・向小島城という5つの山城跡の総称。今回はこのうちのひとつである「古川城」へ向かいます。
【道の駅 山城情報コーナー】
https://www.hida-kankou.jp/spot/905
【国史跡・姉小路氏城跡(飛騨市の文化財)】
https://hida-bunka.jp/asset/anegakojishi/
姉小路氏城跡が国の史跡になったのはなぜか?
この日案内してくださったのは、山城ガイドの牛丸洋子さん。資料を見ながら、まずは古川城の概要を教えていただきました。
古川城は、中世に朝廷から飛騨国司として任じられた姉小路氏の一族である古川氏の居城として築かれました。その後に南飛騨から進出してきた三木(みつき)氏、そして豊臣秀吉の命を受けて飛騨を統治した金森(かなもり)氏も、重要な拠点として使用した城だったとのこと。
ここでガイドさんから、今日の探検がもっと楽しみになる“宿題”が出されました。
「姉小路氏城跡が、国の史跡に指定されたのはなぜでしょう?」
答えはすぐには浮かびませんが、実際に自分の足で古川城を歩きながら考えることにします。
車で訪れる場合は、登城口から徒歩5分ほどの場所にある駐車場を利用できます。道の駅を左折して県道471号へ出たら、「(株)吉城コンポ」の看板を目印に曲がり山道へ進みましょう。
もし時間に余裕があれば、道の駅からのんびり歩いて向かうのもおすすめです。植物に詳しい牛丸さんと一緒なら、道沿いの様々な草木を見つけながら自然観察を楽しめます。
いざ登城開始、「おじゃましまーす!」と自然の中へ
登城口に到着したら、いよいよ山道へ足を踏み入れます。
案内看板や登山道が整備されているため、登山に慣れていない方でも安心して登ることができます。歩きやすいスニーカーと服を着用し、水分補給用の飲み物を忘れずに持参しましょう。
本格的に山の中へ入る前に、熊よけの意味も込めて「おじゃましまーす!」と山へ挨拶をするのが牛丸さん流。登山道の勾配はやや急ですが、登城口から城の山頂付近までは徒歩約25分と、気軽に挑める距離です。
道中では、地形の凹凸を赤色の陰影で視覚化した「赤色立体地図」を見て現在地を確認。平面の地図では気づきにくい尾根や谷の起伏が一目でわかり、自分が今どこにいるのかを立体的に把握できます。
なお、各山城の赤色立体地図は、道の駅 アルプ飛騨古川のパネル展示でも見ることができます。
見どころポイント「虎口」「主郭」
登り進めていくと、最初の見どころ「虎口(こぐち)」に辿り着きます。ここは城の出入り口として使われていた場所です。敵が一直線に城内へ侵入できないよう、正面の石垣に突き当たってから曲がって進む「桝形(ますがた)虎口」という構造になっています。
現在、地表に見えている石垣は1~2段しかありませんが、金森氏の時代には2m以上の高さを誇っていたのだそう。さらにその下には、前の時代に三木氏が築いた石垣も眠っているといいます。ひとつの虎口の中に、時代の異なる2つの石垣が重なっていると聞くと、目の前の石が急に特別なものに見えてきます。
虎口を抜けて少し進むと、2つ目の見どころ「主郭(しゅかく)」に到着します。城の中心部にあたるこの場所は、山を削って平らに整えられており、かつては建物があり人々が行き交っていたと考えられています。
見どころポイント「天守櫓台」「帯曲輪」
主郭の奥には、3つ目の見どころ「天守櫓台(てんしゅやぐらだい)」があります。ここで行われた発掘調査では、金森氏と三木氏それぞれの時代に、土台石の上に柱を立てる構造の「礎石(そせき)建物」が造られていた跡を発見。そして、さらに古い姉小路氏時代に柱を埋めた穴の痕跡まで見つかりました。姉小路氏、三木氏、金森氏という3つの勢力が時代を超えて、この場所を重要拠点として使い続けていたことがわかります。
4つ目の見どころは、主郭をぐるりと取り囲む帯状の平らな土地「帯曲輪(おびくるわ)」。そして主郭と帯曲輪の間には、山肌を削り落として作った人工の急斜面「切岸(きりぎし)」があり、敵の侵入を防ぐ役割を果たしていました。
実際に主郭の端から帯曲輪を見下ろすと、足がすくむほどの高低差と斜度に驚かされます。武器を持った状態ではここは登れない…と、山城の防御力を自身の体で感じることができます。
また、櫓台の下には石垣の跡と思われる石材が残されており、この場所に城のシンボルとなる建物が建っていた可能性も考えられています。
伝説の「蛤石」に触れ、導き出した“宿題”の答え
最後の見どころは、「蛤石(はまぐりいし)」です。表面に蛤のような印象的な模様が浮かぶこの石は、古くからこの場所にあったとされ、古川城が別名「蛤城」とも呼ばれる由来になっています。
この石には興味深い伝説が残されています。もともとは2つの蛤石が並んでいたものの、ひどい日照りが続いたある年、雨乞いのために片方の石を川へ沈めて雨を降らせたのだそう。
また、飛騨を治めた金森氏がこの珍しい蛤石を気に入り、城下へ運び出そうとしたところ、運べば運ぶほど石が重くなり、結局動かせなかった、という逸話も語り継がれています。
さて、ガイドさんから初めに出された宿題「姉小路氏城跡が国の史跡になったのはなぜか」。ここまで歩いてきて、その答えが見えてきました。
姉小路氏が築き、三木氏が改修し、金森氏が当時の最先端の技術でアップデートした古川城。石垣や礎石建物の跡が幾重にも重なるこの場所は、飛騨の覇権をめぐる3つの勢力の移り変わりを、地層のように現代へ伝えてくれる貴重な遺構だったのです。それこそが、国史跡として高い価値を持つ理由なのだと納得しました。
山城ガイドと歩けば、歴史はもっと身近になる
一見何気ない風景も、山城ガイドさんの解説があると、戦国武将たちの知略と歴史のドラマが眠っていることに気付かされます。ただ自然の中を歩くハイキングではない、知的好奇心をくすぐられる特別な体験、それが山城ガイドツアーの魅力です。
また、山城が好きで自然や歴史にも興味がある、そんな方は、自分自身がガイドとして活躍するのもおすすめです。飛騨市では、山城ガイドの養成・認定を行っていますので、学んだ知識を訪れる人へ伝える楽しさを味わってみてください。
山城ガイドさんと一緒に歩くガイドツアーは、下記のページからお申し込みいただけます。戦国のロマンに浸れるツアーに、ぜひご参加ください!
飛騨市山城ガイド
https://www.city.hida.gifu.jp/site/castleruins/74651.html









