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古川城は、姉小路三家の一角・古川氏の居城と言われています。金森氏が飛騨に侵攻して三木氏を滅ぼしてから増島城を築城するまで、ここを拠点としたと伝わります。
主郭と帯曲輪(おびぐるわ)(主郭を取巻く郭)の切岸の斜度・高さの規模はすさまじく、また、東側には石垣を伴う枡形虎口があり、主郭の櫓台の直下には石垣の跡を見ることができます。これらは旧来の飛騨の山城には見られないもので、金森氏の改修が考えられます。
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野口城は築城主に関する記録がなく、城主も不明です。しかし、越中西街道と数河峠が交わる宮川沿いに位置し、向小島城や古川城を望めることから、古川盆地西側の監視拠点として重要な立地にあります。このことから、姉小路氏が築いた可能性が高いと考えられています。
山頂には3つの大きな曲輪があり、それを守るように堀切・竪堀・切岸などの遺構が残ります。中でも畝状空堀群と呼ばれる連続した竪堀が特徴的で、特に峠方向を重点的に防御する構造です。これらは金森氏の侵攻に備えた三木氏の改修とも考えられています。
歴史的には不明な点も多いものの、立地や遺構の規模から見ても、野口城は他の山城に劣らない価値を持っています。
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小鷹利城跡は、向氏の別名「小鷹利」から、向氏の居城と伝わります。享禄4年(1531)以降、向氏の没落により三木氏がこの地を支配していたと考えられます。
この城は、白川郷方面から保峠や湯峰峠を越えて古川盆地へ攻め入る敵に備えた「境目の城」としての役割を持ち、西側斜面には十数本の畝状空堀群が築かれ、防御体制が整えられています。天正13年(1585)には金森軍がこのルートから侵攻し、激戦があったとされています。
さらに、南側には土塁で守られた曲輪が張り出し、斜面を登る敵に側面攻撃を仕掛けられる構造で、主郭への道も段階的に登らねばならず、非常に防御力の高い縄張りです。小鷹利城は、飛騨の土造りの特徴と戦国末期の巧みな築城技術がうかがえる城跡です。
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古川盆地の山城群と飛騨古川の城下町をパネル展示で紹介
飛騨市には、戦国時代を生きた姉小路氏・三木氏・金森氏ゆかりの山城が数多く残されています。令和6年2月には、姉小路氏の城跡が国史跡に指定されました。
これを記念し、令和6年度に街なかポケットミュージアムで開催された企画展「飛騨古川の戦国武将と山城」の展示パネルが、道の駅アルプ飛騨古川に移設されました。あわせて、金森氏の増島城築城や城下町の成り立ちを紹介する新パネルも追加し、古川盆地における戦国時代の城と景観の変遷をわかりやすく紹介しています。
また、城郭イラストレーター・香川元太郎氏が描いた山城のイラスト8点に加え、遺作となった未完成の増島城跡ラフスケッチも展示します。(ラフスケッチは令和8年3月末まで展示)
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伝統と信仰を次代へと受け継ぐために、皆様のご協力を。
飛騨古川にある「御蔵稲荷神社」では、鳥居の老朽化が進み、現在、安全に支障をきたす恐れがある状態となっています。
この大切な神社を守り、次の世代へと受け継いでいくために、鳥居の修繕費用(約60万円)の寄付を募っています。9月の例祭に間に合わせて修繕を行うため、皆さまのあたたかいご支援を、心よりお願い申し上げます。
■ 寄付について
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寄付額:1口 5,000円〜(何口でもご協力いただけます)
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受付期間:2025年7月1日(月)〜8月29日(金)
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記名について:ご寄付いただいた方のお名前は、修繕後の鳥居に記載させていただきます
御蔵稲荷神社は、京都・伏見稲荷大社の御分霊を祀る神社として、地域の信仰を集めてきました。
商売繁盛や五穀豊穣のご利益があるとされ、毎年9月に開催される「飛騨古川きつね火まつり」も、この神社の例祭から始まります。地域の歴史と文化を象徴するこの神社を未来へと受け継ぐため、皆さまのご協力をどうぞよろしくお願いいたします。
寄付申込フォーム↓
https://docs.google.com/forms/d/19aK7sxs5mI73VBmEDHBxjwxTllF5_eDFI5ipeOGN8-Q/preview
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